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元バレーボール選手 大林素子さん 56歳
日本人初のプロのバレーボール選手として活躍した大林素子さん。子どもの頃から背が高く、周囲から「デカ林」「ジャイアント素子」などと言葉の暴力を受けてきました。さらに、その高身長ゆえに「自分の夢はかなわない」と絶望しますが、バレーボールとの出会いで、コンプレックスを強力な武器に変えることができました。大林さんは「今の環境だけにとらわれず、どうか外に目を向けて」と訴えます。
言葉の暴力に苦しんだ小学校時代
五輪3大会に出場するなど、バレーボール選手時代には、輝かしい実績を残した大林素子さん
身長が1メートル84ある私は、幼稚園の頃から
周りよりも頭一つ分高く、身体的特徴への「言葉の暴力」に苦しめられてきました。
小学校入学後も、身長は速いスピードで伸び続けました。体が大きい上、名字には“大”が入っています。男子たちの格好のからかいの的となり、「デカ林」「ジャイアント素子」「巨人」「でくの坊」「大女」など心ないあだ名をたくさん付けられました。教室で私の後ろに座る男子からも、「前が見えない!」と言われて。芸能界で仕事をしている今では、ネタとしていじられることもありがたく思えるようになりましたが、昔は本当につらかったですね。
当時は団地に住んでいて、近所の子もクラスの子も同じメンバーで変わらず、逃げ場がありませんでした。言葉の暴力でいじめられるのが当たり前になると、発言もせず、目立たないようにしようと、どんどん消極的になっていきました。少しでも背を低くしようとずっと猫背にしていましたが、その癖は今も残っています。
そんな私でしたが、幼い頃からかわいらしい服やドレスが好きで、アイドル歌手や「宝塚」の娘役になれたらと夢見ていました。でも、周りからは「娘役は小さくないとできないよ」「無理だよ」と容赦なく言われて。
父は1メートル77で祖父は1メートル82と身長が高く、自分の背の高さも遺伝なのだろうと思いました。「ああ、自分ではどうにもできないことで、夢がかなわないんだ」と絶望しました。
周りからの言葉の暴力もやむことがなく、小学4年生のときには「もう死んだ方が楽じゃん」と思い詰めました。家族で暮らしていた団地の最上階だった11階に行き、2回ほど靴を脱ぎました。「でも、このまま死んだら、このつらさは誰にも伝わらない」。悔しく感じ、自分の部屋に戻って誰にどんなふうにいじめに遭ってきたのかを紙に書き殴りました。そうこうするうちに「なんで私が死ななきゃいけないんだ」と冷静になり、思いとどまりました。
「いじめっ子を見返す」バレーボールと出会い、芽生えた闘志
バレーボールと出会い、中学でバレー部に。高校、実業団で頭角を現し、五輪出場の夢をつかんだ
外でも「でかい!」と言われるのが嫌で、小学生の時はテレビっ子になりました。そして、その頃放映していた人気アニメ「アタックNo.1」が、バレーボールと出会わせてくれたのです。
いじめなど様々な試練に負けず、ひたすら練習に打ち込み、不屈の精神で五輪出場をめざす主人公。その姿に憧れるうちに、「バレーボールでは背の高さが武器になるかもしれない」と思ったのです。そして、「五輪に出られたら、自分をいじめてきた人たちを見返せる」と闘志が湧いてきました。
中学でバレーボール部に入部しましたが、運動をしていなかったので下手でしたね。顧問に怒られながらも練習に励み、中学2年の秋には、近所にあった実業団の強豪・日立の監督に「五輪選手になりたい」と手紙を送ったのです。当時の日立バレー部は、後に五輪に出る日本代表選手が複数在籍している強豪チームでした。
熱意が買われたのか、「本当に五輪に出たいのなら」と監督は練習への参加を特別に認めてくれました。当時私は身長が1メートル76ほどになっていたので、体格も買われたのだと思います。それからは、授業と部活の後に、日立の練習に休まず通いました。チームの上下関係は厳しく、一日の練習時間は8時間ほどで内容もハードでしたが、必死に食らいつきました。
高校は春の高校バレーの優勝常連校である八王子実践高校に進学し、在学中に日本代表に選ばれました。卒業後は実業団に入り、ついに1988年のソウル五輪に出場し、夢をかなえることができたのです。
嫌だと感じたら「いじめ」 相手の気持ちを考えて
バレーボール選手として知られるようになったら、私をいじめていたかつての小学校の同級生たちが実業団の練習を見に訪れたのです。「サインが欲しい」と言われましたが、断りました。心の傷は癒えていませんでした。
そして再訪されたとき、意を決して、「いじめられてすごく嫌だった」と伝えたのです。すると、彼らは「そんなつもりじゃなかった」と驚いた様子で。いじめている自覚がなかったようでした。
からかいの「いじり」と「いじめ」の線引きは難しいですが、されている方がつらく、嫌だと感じたら「いじめ」なのだと思います。いじめられた方は、どんどん追い詰められ、気持ちもふさがれてしまいます。自分がふざけて投げかけた言葉を相手がどう受け止めるか、相手の気持ちをよく考えなければいけないと思うのです。
私と同じように、身体的特徴など自分の力で変えることができない悩みを抱える子もいると思います。でも、いつか新しい世界や価値観に出会うチャンスが訪れるはずです。私はテレビアニメをきっかけに、バレーボールを始め、コンプレックスを武器に変えることができました。みんなも、いじめられている悔しさ、つらさなどをパワーに変えられる日がやってくると信じています。
大林素子
(おおばやし・もとこ) 東京都生まれ。五輪は1988年のソウル、92年のバルセロナ、96年のアトランタの3大会に出場した。29歳で引退後は、タレントや俳優としても活躍。日本バレーボール協会の広報委員のほか、今年5月、バレーボール・Vリーグ女子2部のブレス浜松のゼネラルマネジャー(GM)に就任した。