タレント 井上咲楽さん(25)

 タレントの井上咲楽さん(25)は、高校時代、先輩から「ブス」と言われたり、同級生に仲間外れにされたりして、次第に学校に行けなくなりました。明るく元気なキャラクターでバラエティーからニュース番組まで活躍の場を広げていますが、「自己肯定感が低いため、今も悩みを深めてしまうことがある」と言います。苦しい高校生活で救いになったのが、芸能界という外の「世界」。楽しそうに働く大人を見て、狭い世界のことで悩んでいる時間がもったいないと思えました。ネガティブな気持ちを日記に吐き出すことで気持ちを整理しているそうで、「うまくいかずに悩む自分を責めず、それも多面的な自分の一部だと受け入れてほしい」と語ります。

人見知りだけど負けん気が強かった

「テレビに出たい」というあこがれを持っていました

 実家は栃木県南東部の山奥にあります。4人姉妹の長女で、自然に囲まれて育ちました。

 幼い時から、同年代の子たちがテレビに出ている姿を見て、「テレビに出たい」というあこがれを持っていました。

 でも、小学生の頃は内気で人見知り。友達も少なかったけれど、負けん気が強くて、頑固な性格でした。休み時間は図書室で本を読んで過ごすことが多かったのですが、実は、教室で目立つ存在の女子にあこがれていました。でも、自分はそんなに明るくは振る舞えない。そのことにコンプレックスを抱えていました。

中学校ではいじられキャラ、高校で孤立

卒業文集には、将来の夢を「お笑い芸人」と書きました卒業文集には、将来の夢を「お笑い芸人」と書きました

 中学校入学後は、バレーボール部に入りました。同じクラスの子に誘われたことがうれしくて入部しましたが、部員の明るさや声の大きさに驚き、最初はなじめませんでした。でも、土日も含めて一日のほとんどをチームの仲間と過ごすようになり、徐々に協調性が身に付いていきました。「いじられキャラ」になり、よく友達を笑わせるようにもなりました。先生のものまねがウケて、特徴的な太い眉毛をいじられ、笑いを取っていました。卒業文集には、将来の夢を「お笑い芸人」と書きました。

 ですが、高校に入ると、友人関係がうまくいかなくなりました。知らない子ばかりで、自己紹介はスベるし、うまく友だちも作れない。中学生の時は、人を笑わせる才能があったわけじゃなく、友だちにいじられて笑われていただけなんだと気づきました。

 ただ、テレビに出たいという思いは強く、芸能事務所のオーディションをたくさん受けました。高1の夏に事務所のオーディションで特別賞をもらい、芸能活動が始まりました。学校と現場を忙しく行き来するようなキラキラした学園生活を想像していましたが、現実はうまくいきませんでした。

先輩からは「ブス」、仲間はずれで一人弁当…不登校に

理想の姿に、自分が全然追いついていない気がして、苦しくなっていきました理想の姿に、自分が全然追いついていない気がして、苦しくなっていきました

 仕事で東京へ行くのは週1回くらい。先輩からは廊下ですれ違いざまに、「ブス」「何であんな顔で」と言われることもありました。学園祭で一緒に写真を撮った他校の生徒が、帰りの駅のホームで「せっかく見に来たのに普通だった」と話しているのを聞いたこともあります。

 高2になると、テレビ出演が増えたからか、同級生グループからも反感を買うように。口を聞いてもらえなくなり、一人でお弁当を食べる日が続きました。「みんなが私の悪口を言っているのでは」と怖くなり、「『仕事がないから登校している』とみられたくない」という思いも重なって、次第に学校を休むようになりました。

 慕ってくれていると思っていた後輩が、そうではなかった時はショックでした。その後輩は「テレビ見ました。かわいかったです」と声をかけてくれたのですが、SNSに「不細工のくせに、私の推しと共演できてマジむかつく」と投稿していたのです。「人間って怖い。みんな信用できない」と思いました。

 欠席が増えると、先生や高1からの友人は心配してくれました。「具合が悪いの?」「大丈夫?」と連絡をくれるけれど、その優しさを受け入れる余裕もなかった。両親からは「学校に行きなさいよ」と言われました。どんどん意固地になって、朝10分寝坊しただけで、「自分はダメ人間。もう学校に行けない」となりました。理想の姿に、自分が全然追いついていない気がして、苦しくなっていきました。

人を信用できず、反抗的に

 学校に行かないことで、「私は色んな人に迷惑をかけながら生きているんだ」と罪悪感も膨らんでいきました。週1、2回ほど登校しても、誰もいないパソコンルームに隠れたり、休み時間や授業中は机に突っ伏したりしていました。先生は、将来を心配して大学受験を勧めてくれましたが、「芸能活動がうまくいかないと言いたいの? 私を信用していないの?」と反抗的な気持ちになりました。

 でも、受験シーズン目前の高3の秋頃、「大学で学べば、知識も増えてテレビでうまく話せるようになるかもしれない」と思い、大学受験を決意しました。塾にも通いましたが、付け焼き刃で合格できるほど大学受験は甘くありません。結果は不合格でした。

 つらく長く感じた高校生活でしたが、最後に気付かされたこともありました。

 卒業式は仕事が重なり出られませんでしたが、春休みに補習で登校したタイミングで、クラスメートがサプライズで、私のために卒業式を開いてくれました。教室の黒板には卒業を祝うメッセージが書かれていて、花束も用意されていました。勝手に「全員が敵」「みんな私のことが嫌い」と思い込んでいましたが、周りには、普通にあいさつや話をしてくれる友達もいたのです。一緒に遊んだこともなく、連絡先を知らない子たちでしたが、こんなに優しく見守ってくれていたんだと身に染みました。

もう一つの「世界」

 苦しい高校生活の中で救いになったのが、外のコミュニティーです。それが、私にとっては、芸能界でした。

 東京の事務所やテレビ局に行くと、愚痴をこぼしながらも楽しそうに仕事をしている大人たちがたくさんいました。いろんな人がいて、いろんな世界があると知ることで、高校という狭い世界のことで悩んでいる時間がもったいないと思えたのです。

 多くの子どもたちは、学校と家の二つの世界で生きていると思います。アルバイトでも趣味でもいい、別の世界を見つけてみてください。自分の枠から出て、いろいろな経験をした人から話を聞くと、今悩んでいることがばかばかしく思えることがあるのです。

 私も高校生の時に相談した事務所のマネジャーから、「学校の同級生とは5年後にはつきあっていないよ」と言われました。当時は素直にその言葉を受け止められませんでしたが、いまではよく分かります。高校にいた160人ほどの同級生のうち、今でも頻繁に会うのは数人だけです。当時は仲が良くても、いつの間にか会わなくなっている。そんなものです。

 人間関係は時間とともに必ず変化していきます。学校が世界の全てだと思い込んでいましたが、大人は世界がもっともっと広いことを知っています。

 同級生が誰になるかは「くじ」のようなもの。努力して入った高校でも周りの人がどんな人かなんて分かりません。うまくいかなかったら、「外れくじを引いたかもな」と割り切って、他の友達や別の世界を探すということも大切だと思います。学校は狭い世界。別の世界にコミュニティーを見つければいいのです。

「きょうも生きてみるか」くらいの朝を

人間関係は必ず変化していきます!人間関係は必ず変化していきます!

 実は、大学に進学できなかったことはいまだに後悔があります。大学生の姿を見ると、「苦しい受験勉強をくぐり抜けたすごい人」に見えます。このコンプレックスは一生消えないかもしれません。

 ですが、これまでも、私は自分に足りない部分を埋めようともがいてきました。社会をもっと知り、仕事に生かそうと政治のことを調べ始め、新聞記事のスクラップや国会傍聴を続けてきました。選挙では候補者の演説内容をこまめにメモした「選挙ノート」を作成。選挙番組に呼ばれ、インタビューを受けることもあります。

 なりたい自分に追いつかずに苦しむ「私」と、それに追いつこうとする「私」。うまくいっても、常に何か足りないと焦っています。理想は高いのに、自己肯定感が低いため、感情が行ったり来たりします。

 そんな自分の気持ちを受け止め、整理する助けになっているのが中1の時から続けている日記です。コツは毎日書こうとしないこと。私はやり続けると決めたことが途切れると、「もうやめた」と全部をやめたくなるのですが、日記だけは続かないことも許しています。楽しく忙しい日が続けば、3か月くらい書かないこともあります。でも、書きたい時は、その日の出来事やネガティブな感情をはき出すように書き連ねています。

 自己肯定感が低くてつらい人は、うまくいかずに悩む自分を責めず、多面的な自分の一部だと受け入れてみてください。人と比べなくていい。元気にならなくてもいい。「きょうも生きてみるか」くらいの気持ちで朝を迎えてくれるといいなと思います。(宇田和幸)

 ◇いのうえ・さくら 栃木県出身。県立高1年の時にホリプロタレントスカウトキャラバンで特別賞を受け、芸能界デビュー。昆虫食や国会傍聴、マラソンなど多彩な趣味を持つ。著書に過去のいじめ体験などをつづった「じんせい手帖」(徳間書店)など。

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