俳優・アーティスト 森崎ウィンさん(35)

 ミャンマー出身の俳優・アーティストの森崎ウィンさん(35)は、9歳から日本で暮らし始めた。最初は言葉がわからず、学校で仲間外れにされた。嫌がらせを受けながらも大好きなサッカーを続けたことで、周りの態度が変わっていったという。「生きるってしんどい。でも、生きていれば絶対に楽しいことがある」と呼びかける。

「あっち行け」「入ってくんな」

家でも学校でも新しい関係を築かなければならず、逃げ場はありませんでした

 ミャンマーのヤンゴンで生まれました。両親は僕が生まれてすぐ、日本で働き始め、僕はおばあちゃんとヤンゴンで暮らしていました。

 日本に来たのは小学4年になる春。それまで両親とは年に1回会えるかどうかでした。ですが、家族が一緒に暮らせる喜びより、知らない土地でゼロからスタートする不安の方が大きかったことを覚えています。

 東京都内の公立小学校に転入しましたが、その頃、僕が話せた日本語は「こんにちは、ウィンです」と「ありがとうございます」くらい。なかなか遊びの輪に入れず、休み時間はしんどかったですね。

 ある日、屋上で追いかけっこをしていた男子グループの仲間に入りたくて、隣で一緒に走ってみました。すると、「あっち行け」「入ってくんな」と追い払われ、蹴られもしました。クラスの人気者だった男子が中心になって、僕を仲間外れにしました。寂しくて、悲しくて、悔しくて。屋上の柵にもたれながら、めちゃくちゃ泣きました。

 学校に、行きたくなかった。でも両親は厳しくて、学校を休むという選択肢はありませんでした。学校で嫌なことがあったと相談することもできなかった。家でも学校でも新しい関係を築かなければならず、逃げ場はありませんでした。

「キーパーを代わってやるよ」

僕は、もともと負けず嫌いで諦めの悪い性格です僕は、もともと負けず嫌いで諦めの悪い性格です

 僕は、もともと負けず嫌いで諦めの悪い性格です。

 ミャンマーにいた時からサッカーが好きでした。放課後、サッカーをしている同級生や先輩のいるグラウンドへ行くと、キーパーを毎日のように押しつけられました。シュートを止められないと先輩が怒るから、誰もやりたくないんです。

 ある日、一人の先輩が「キーパーを代わってやるよ」と言ってくれました。泣きながらでも続けていたので、根負けしたのかもしれません。それからは、僕を仲間外れにしていたクラスの人気者とも、サッカーを通じて仲良くなりました。学校の階段でからかわれている時、彼は僕を守ってくれました。純粋に、うれしかった。根っから悪いやつなんて、そんなにいないんだと思えました。

生きているからこそ面白いことに出会える

下を向いてしまった時は、ちょっとだけ顔を上げて、未来を想像してみてください下を向いてしまった時は、ちょっとだけ顔を上げて、未来を想像してみてください

 中学2年の時にスカウトされ、芸能界の仕事を始めましたが、挫折の連続でした。いくつオーディションに落ちたことか。27歳の時にスティーブン・スピルバーグ監督のハリウッド映画に出演でき、やっと、この仕事を続けていいんだと考えられるようになりました。

 今、しんどい思いをしている人は、「他の人より苦しい場面が早く来ちゃったな。先に経験できたから、あとで楽ができてラッキーだな」と考えてみてはどうでしょうか。生きるのは大変ですが、生きているからこそ面白いことに出会えます。下を向いてしまった時は、ちょっとだけ顔を上げて、未来を想像してみてください。(染木彩、おわり)

 ◇もりさき・うぃん ミャンマー出身。中学2年で芸能活動を始め、舞台出演や雑誌モデルを経験。2018年公開の映画「レディ・プレイヤー1」でハリウッドデビューした。23年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では江戸幕府2代将軍の徳川秀忠を演じた。

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