お笑いコンビ「平成ノブシコブシ」 徳井健太さん 42歳
今振り返ってみれば、10代の自分は、日常的に家族の世話をする「ヤングケアラー」でした。
中学生だった頃、母親が精神を病み、部屋にこもりがちになりました。当時父親は単身赴任中だったため、母に代わって家事をこなしました。
食事作り、洗濯…それが当たり前だと思っていた
今利幸撮影
学校帰りにスーパーに寄って食材を大量に買い込み、チンジャオロースやマーボー豆腐など毎日の食事を作りました。
6歳下の妹はその頃小学校に入学したばかり。妹の体操着を洗ったり、遠足用の弁当を用意したりするのも僕の役目でした。
だから、一家だんらんで食卓を囲んだり、家族旅行をしたりすることもありませんでした。
でも、「大変だな」「つらいな」と感じたことは一度もありません。家族が大変だったら手伝う。それが当たり前だと思っていたからです。
18歳で故郷離れ上京、吉本興業の養成所へ
学校に友達はおらず、唯一の心のよりどころはテレビのお笑い番組でした。特に「ダウンタウンのごっつええ感じ」に夢中になりましたね。
18歳の時に北海道を離れ、東京にある吉本興業の養成所に入った
自分でも気付かぬうちに面白いことを口にしていたのかもしれません。高校卒業後は調理の専門学校に進もうかと考えていると、同級生に「徳井君、お笑いやったらいいんじゃない?」と言葉をかけられたのです。
「とにかく家を出たい」との強い思いもあり、北海道を離れ、18歳で東京にある吉本興業の養成所に入りました。
「お前は礼儀がなっていない」
人前に出るようになると、変わった生い立ちや非常識な言動が面白く受け止められました。ただ、年齢が上がるにつれてあまりウケず、逆に「お前、大丈夫か」と心配されるようになりました。
35歳くらいだったでしょうか。ある日、吉本の先輩の小籔千豊さんから「お前は礼儀がなっていない」と説教を食らったのです。小籔さんはすごく怒っていましたが、初めて「愛情を受けた」ような感じがしました。
僕は親にきちんと育てられず、自分本位に振る舞っていたのだと思います。にもかかわらず、周りが注意しなかったのは、僕が不幸な家庭で育ったことを気の毒がっていたからだと気が付きました。
おせっかいと思われてもいい、手をさしのべて
大人になってから周りの人たちに恵まれ、30歳からの人生の方が楽しいことが多い。今この場所にいられるのは、あのとき「環境を変えたい」と思ったからです。だから、今つらい環境にいる子がいたら、「逃げてもいいよ」と伝えてあげたいです。
昔は「ヤングケアラー」という言葉もなく、当時の僕は誰かに相談しようとも思いませんでした。でも、もしあの時、誰かが声をかけてくれ、話を聞いてくれていれば違ったかもしれない。
自分がそうだったように、過酷な環境でも「苦しくない」「それが普通」と思いながら、耐えている子どももいると思います。その子を助けられるのなら、おせっかいと思われてもいい。周りにいる人は声をかけ、手をさしのべてあげてください。
徳井健太
(とくい・けんた) 北海道出身。2000年に吉村崇さんと「平成ノブシコブシ」を結成。吉本興業所属。ユーチューブチャンネル「徳井の考察」を開設するほか、「敗北からの芸人論トークライブ」を定期開催中。著書に「敗北からの芸人論」(22年、新潮社)がある。