作家 凪良ゆうさん 50歳
今年、「
汝(なんじ)
、星のごとく」(講談社)で2度目の本屋大賞を受賞した作家の凪良ゆうさんは、小学生の頃に児童養護施設に入所し、15歳で働き始めました。幼少期のつらい状況を救ったのは、漫画や児童書などの物語でした。自身の小説で、同性愛や血のつながらない親子、わかり合えない家族など生きづらさを抱える人生を描いてきた凪良さん。「他の誰かと比較しなくていい。自分にとっての幸せを見つけて自分の人生を生きてほしい」と願います。
母親が出ていき1人に 気が抜けない施設での生活
作家の凪良ゆうさん(講談社提供)
母子家庭で育ちました。母は仕事の関係などで家にいないことが多く、小学校低学年の頃から料理も洗濯も掃除も、全て一人でやってきました。小学6年生の時、10日間ほど一人で過ごし、お金も食べ物も底を尽きそうになったことがあります。「どうしよう」と不安になりましたが、友達に知られたくないという子どもなりの見えやプライドもあって、誰にも言えませんでした。
人間ってすごく不思議で、度を越えると、怖さも苦しみもつらさも感じなくなってしまう。感覚が
麻痺(まひ)
していたのだと思います。
担任の先生が異変に気づき、家にまで来て助けてくれました。
母はそのまま帰ってくることはなく、その後は、結婚して家を出た10歳上の姉の家や、姉の夫の実家を頼って半年ほど転々としましたがうまくなじめず、児童養護施設で暮らすことになりました。
施設では、一つの棟に住み込みの保育士1人と、小中学生の男女10人ほどとで共同生活を送りましたが、心に傷を負い、問題を抱え、誰にも心を開かない子が圧倒的に多かった。大人の前ではニコニコしていても目は笑っていなくて、陰で暴力を振るうのは日常茶飯事。緊張と警戒を強いられ、気が抜けませんでした。
そんな中、学校は、唯一普通の子どものように振る舞える場所でした。中学卒業後に就職して逃げるように施設を出る子は多かったけれど、少しでも普通の子になりたくて私は高校に進学しました。でも、高1の夏休み明けに自主退学しました。
学校指定ではない綿の開襟シャツで登校したところ、サッカー部の顧問だった先生に門の前で「帰れ」と追い返されたことがきっかけです。その先生は「服装の乱れは心の乱れ」と生徒には厳しい一方、自分はパンツ1枚でグラウンドを歩くような人でした。
今からすると、そんな小さなことでと思うけれど、私は幼い頃から大人の都合で振り回されてきました。「これ以上、無意味で不条理で矛盾したことに従うのは嫌だ」と、それまで抑え込んでいた怒りが爆発した瞬間だったのでしょう。幼いころから他人の中で常にビクビクと身を縮め、心から幸せだと思うことは一度もなかった。だったら一人で生きていったほうがマシじゃないかと、諦めて開き直ったのかもしれません。
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