その2階建ての建物は、内も外も壁全面が本棚だ。ガラスが覆う外側は空だが、屋内の壁には書名が見える段まで本が詰め込まれている。
武蔵野美術大(東京都小平市)の図書館は、2025年大阪・関西万博のシンボルとなる環状の大屋根(リング)を手がけた建築家・藤本壮介氏が設計した。基本コンセプトは「書物の森」。メインフロアの2階は書架が渦を描くように配置され、本と本の間を巡っていると、森の深奥へといざなわれていく感覚に包まれる。
森の道しるべが、階段を上がってすぐの床にある。中心の円から八方に線が延び、先端には0から9までの数字。まるで時計の文字盤が散らばったような、世界遺産「ナスカの地上絵」のような……。
数字は本の分類番号だ。線の延びる方向に書架があり、線の長短は、そこまでの距離を表す。芸術分野の文献を集めた「7」へと向かうと、旧約聖書に登場する「シバの女王」の石こう像が、閲覧席の学生たちを見守っていた。
床の数字は本の分類番号。放射線の向きと長さは、方向と距離を表す
図書館職員の村井威史さん(47)は「新しい本に出会いに行く散策性と、求める本を探し当てられる検索性を両立させるデザインになっている」と解説する。
「美大生におすすめの本」。館内の2か所には、学生に手に取ってほしい本が並ぶ。
デザイン情報学科准教授の新保
韻香(いんか)
さん(48)が推すのは、インドの絵本だ。現地の神話やガンジス川のほとりの情景が、手すきの紙に落とし込まれている。版画の技法の一種、シルクスクリーンで刷られた1枚1枚を1冊にとじた。視覚情報だけでなく、手にしてわかる紙のざらっとした感触や少し盛り上がったインキの軌跡から、時間と手間をかけた手仕事であることが伝わってくる。
新保さんは「デジタル時代の今だからこそ、美術を専攻する学生には印刷物の価値を体感してほしい」と訴える。
空間演出デザイン学科3年の
向後(こうご)
和真さん(21)は、先人の知恵の詰まった本と出会い、創作に役立てることができた一人だ。今年、企業との共同研究で、外来種の木を材料にいすの製作に挑んだ。
まず、見慣れた4本脚のいすを作ってみたが、耐久性に乏しかった。思い悩んで図書館を巡ると、民芸品を紹介する1冊に目がとまった。木の組み合わせ方を工夫した伝統技法を知り、昔ながらの3本脚のいすを仕上げた。南国原産の木の風合いも引き出すことができた。
向後さんは「ネット検索でこの技法は見つかりませんでした。先人の知恵にあたることで自分の創作の幅が広がることを実感しました」と笑う。
中国からの留学生で建築学科1年のウ・カンロさん(20)は、週5日図書館に通うヘビーユーザーだ。映画や歴史など、専攻以外でも気になる本は、何でも手に取るようにしている。「大学生活は4年間だけ。今しかできない知識の習得を、スマホの画面で済ませたくないんです」
机とセットの閲覧席のほかに、館内には個性的なデザインのいすがある。美術品や教材として収集された約400脚のモダンチェア(近代名作いす)の一部だ。
腰を落ち着け、画集に見入る学生たち。アーティストの素養を育む、ゆったりとした時間が流れていた。
文・恒川良輔
写真・佐々木紀明
<至宝>博物図譜 息のむ精密さ
写真のない時代、動植物の姿や自然景観を正確に描いた「博物図譜」の数々。19世紀にパリで発刊された「鳩図譜」(全2巻)は、
精緻(せいち)
なハトの図版計147点を収めた美術的価値の高い1冊だ。鮮やかな羽の色は、石版画(リトグラフ)に手作業で細かく色をのせて再現されており、そのリアリティーと技術の高さに、思わず息をのむ。
貴重書庫には、主に17~19世紀に製作された解剖図や自然誌、航海記などを所蔵。担当職員の西村碧さん(40)は「授業では書見台に図譜を置き、ページをめくって閲覧する。当時の版画や造本の最新技法も知ることができる生きた教材だ」と話す。
学外者もアプリ経由のデジタルアーカイブで閲覧できる。
[学長に聞く]質感や匂いで作品理解…樺山
祐和(さちかず)
さん(66)
この大学の学部・大学院で過ごした6年間は、ひたすら油絵を描き続けました。図書館には、画集を見によく通った。知らない作品や、興味をかき立てる哲学書などを発見し、ずいぶん長い時間を図書館で過ごしましたね。
今はネットで簡単に美術作品を見ることができるようになりましたが、視覚で得られる情報は、作品の表層にすぎません。画集なら、紙の質感や匂いも含め、出会いの過程そのものが記憶に刻まれ、作品への理解が深まります。
芸術家には、五感すべてを研ぎ澄ます力が必要です。作品に会いに、足を運んでください。
■武蔵野美術大
■大学概要 美術史家の金原省吾らによって1929年(昭和4年)、東京・吉祥寺(現在の武蔵野市内)に創設された帝国美術学校が前身。62年に武蔵野美術大に改称し、69年にキャンパスを東京都小平市に移した。小平と、東京都新宿区にある二つのキャンパスに造形学部、造形構想学部の2学部を擁し、絵画、彫刻、デザイン、建築、映像など計12学科を設けている。学部・院生は計約4800人。卒業生には脚本家の内館牧子さん、イラストレーターで俳優のリリー・フランキーさんらがいる。
■図書館 旧館を建て替え、2010年に開館した。棟続きの美術館棟と一体運営されている。図書館棟は地上2階、地下1階建て。貴重書を除き全面開架式で、書籍約34万冊と雑誌約4600冊を所蔵している。利用は学生と教職員に限られる。