夜のキャンパスで、ひときわ存在感を放つ図書館の時計台棟
郊外の駅を出て正面の道沿いに広がる一橋大(東京都国立市)キャンパス。正門から木立の間を歩いていくと、開けた先に小さな広場と池が見えた。周りに立つレンガ造の建物群が、青空の下に、よく映える。
「昼よりも、私は夜の方が好き。キラキラとした雰囲気を感じるんです」と商学部1年の中嶋薫里さん(19)。窓枠にはまったステンドグラスが華やかに見えるからだろう。付属図書館の時計台棟は夜、その威容が増す。
時計台棟は、複数の棟から成る図書館の顔だ。ステンドグラスや上部が半円状のアーチ窓を配したロマネスク様式が特徴。戦前の1930年に完工し、当時と変わらぬ姿を見せる。
館内も、昭和初期の面影を色濃く残している。
時計台棟の2階を占める大閲覧室は、天井の高い巨大空間。中央の4本の柱一本一本に胸像が寄り添っている。1人は大学設立に尽力した実業家の渋沢栄一、残る3人は大学草創期の学長たちだ。思わず背筋が伸びる。
室内には横長の閲覧席が整然と並ぶ。その数、およそ330席。本の世界に没入するならレトロな読書灯の下で、パソコンを広げて論文やリポートを書くならコンセントのある席へ。今の学生にも使い勝手が良さそうだ。商学部2年の相馬大輝さん(20)は「最初は部屋から独特の『圧』を感じましたが、慣れました。スマートフォンを充電しに来ることもあります」と明かす。
書架の多くは時計台棟と連絡通路でつながる本館にある。「開架主義」を掲げ、約209万冊の蔵書のうち140万冊が、すぐに手に取れるようになっているという。
書架と書架の間は約1・5メートル。少し離れて書架が眺められ、上段の本の背表紙もよく見える。つい「立ち読み」してしまっても行き交えるほど広く、邪魔にならない。周りに気を使わず、本との巡り合いを楽しんでほしい――。そんな思いが伝わってきた。
ベストセラーの小説などを集めたコーナーの本は、卒業生の積んだ基金を原資に買いそろえられている。そのそばには、柔らかそうな青いソファ。勉強の時は大閲覧室、小説を読む時はこのソファと使い分けている法学部1年の山千尋さん(19)は「館内で自習も、息抜きもできるのが気に入っています」。
本館のさらに奥には、雑誌棟が控える。国内外の1万7000タイトルを保管しており、文部科学省が指定する学術雑誌の収集拠点となっている。タイトルごとに一定期間分を束ね、一冊の「本」にして書架に収められている。
社会学を研究する修士課程2年の大堀紀之さん(25)は足しげく通う一人だ。数ある論壇誌の主張を比較し、考察している。「これだけの雑誌が手に取りやすくまとまっている図書館は、他にはありません」と誇らしげだ。
本館から外に出る時、振り返ると古びた銅板が目に入った。「TEMPUS FUGIT」と刻まれている。「光陰矢のごとし」と同意のラテン語の格言だと、図書館長で法学部教授の野口貴公美さん(53)が教えてくれた。
「いま頑張らないと、すぐに年を取るぞと言われているようで。見る度に気が引き締まる」。野口さんの言葉を聞いて、次の取材先へと足を速めた。
文・古郡天
写真・武藤要
<至宝>オーストリア学派の「原本」
近代経済学の創始者の一人とされるカール・メンガー(1840~1921年)。主著「国民経済学原理」の初版(1871年)では、ページ間に白紙を挿入した特製本が3冊だけ作られた。白紙は改版に向けた構想を書き留めておくスペースだ。所蔵する1冊には、メンガー自筆のドイツ語のメモがびっしりと書き込まれている。
財の価値が労働によって定まるとした従来の学説に対し、消費者の満足度によって決まると主張したメンガー。ウィーン大教授も務め、理論を受け継いだ学者たちはオーストリア学派とも呼ばれた。
貴重資料を担当する図書館職員の田波真弓さん(46)は「次の版に向けて悩むメンガーの様子が伝わってくる」と話す。
[学長に聞く]卒業、修士論文も収蔵…中野聡さん(65)
この大学の法学部生時代から、図書館をよく利用していました。大学院生になってからは書庫に入り浸るようになり、学長になった今も時間を見つけては、書庫に入っています。
一橋大には卒業論文や修士論文を図書館に収める伝統があり、書庫の一角に並んでいます。有名な卒業生の論文も残っており、色々な発見がありますよ。
図書館は「ワンダーランド」。何かを探す間にも新たな本との出会いがあり、興味は尽きません。ネットで特定の本を探すのとは違う意味や楽しさを、学生たちにも味わってほしいと思っています。
■一橋大
■大学概要 後に初代文部大臣となる森有礼が1875年(明治8年)に創設した商法講習所が前身。84年(同17年)に東京商業学校へ改称後、文部省直轄となる。1920年(大正9年)、大学に昇格して東京商科大に。23年(同12年)の関東大震災で神田一ツ橋にあった校舎が損壊し、30年(昭和5年)に現在地へ全面移転した。49年(同24年)に一橋大となり、商、経済、法、社会とソーシャル・データサイエンスの5学部に通う学生数は4348人。国立のほか、東京都小平市と千代田区一ツ橋にキャンパスがある。
■図書館 国立キャンパスは「大学通り」を境に東と西に分かれ、付属図書館は西キャンパスにある。小平キャンパスの「研究保存図書館」と合わせた延べ床面積は約1万7000平方メートル。計約800席の閲覧席がある。学外者は調査・研究目的の場合に限り、手続きを経て館内で閲覧ができる。





