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著名人が苦しんだ思春期の葛藤・乗り越えた経験、担当記者が語る取材エピソード

2025-09-04T12:03:38+09:00

宇田和幸 猪塚さやか 山口翔平 松本将統 染木彩  8月下旬に連載した「STOP自殺 #しんどい君へ」のインタビュー企画では、各界で活躍する6人が、いじめや貧困などで苦しんだ過去と、それを乗り越えた経験を語ってくれた。今、悩んでいる子どもたちへのメッセージを、取材した記者の思いと共に振り返る。「常に一流であれ!」「人間関係は必ず変化していきます」ラグビー選手 姫野和樹さん(31)常に一流であれ! 姫野さんは経済的に苦しい環境で育ち、自ら稼ぐようになるまでお金で苦労し続けたという。タックルしてはすぐに起き上がり、攻守にわたって最前線で体を張り続けるスタイルと、そんな過去とがなかなか結びつかなかった。今回、子どもたちを勇気づけようと、「コンプレックスだった」という生い立ちを語ってくれた。  中学時代の恩師の「心を鍛えて、常に一流であれ」という言葉を胸に練習に励み続けた。日本代表の主将にまで上り詰めた今、はたから見たら、困難を乗り越えた成功者なのだろう。でも、「友達と半分に分けた肉まんやアイスよりおいしいものに、今も出会ったことがない」と屈託なく笑う姿は、まるで少年のようだった。「生きてりゃ何とかなるから」という一言には重みがあった。タレント 井上咲楽さん(25)人間関係は必ず変化していきます 井上さんは高校時代に芸能活動を始め、先輩から「何であんな顔で」と悪口を言われた。先輩を怒らせたと悲観したが、「今思うと、気にすることでもなかった。学校は狭い世界だから」と言い切る。 友人関係に悩む若者へ、趣味やアルバイトなどで学校外のコミュニティーとのつながりを増やすことを勧める。「色んな人と関わって」と送るエールは、若者の視野を広げるだろう。 インタビューをした2人とも、思春期のつらい経験を丁寧に語ってくれた。「同じような苦しみを抱える若者を救いたい」という思いが詰まったメッセージが、多くの人に届いてほしい。(宇田和幸)  姫野和樹さんのインタビュー記事は こちら 。  井上咲楽さんのインタビュー記事は こちら 。 「明るい所に花は咲く」落語家 桂宮治さん(48)明るい所に花は咲く 桂さんは今も他人の顔色をうかがい、気を使って疲れてしまうことがあるという。「そんな僕も僕。個性だから直そうと思っていない」と割り切るが、そう思えるまでに40年以上かかった。 同級生から嫌なことをされても、傷ついた心を隠して笑った。常に誰かと比べて劣等感を抱えていた。取材中、子どもの頃のつらい記憶を、天井を仰いだり、斜め下を向いたりして思い起こし、笑顔も見せながら、誠実に言葉を紡いでくれた。きっと、私にも気を使っていたのだろう。これが桂さんの優しさだと感じた。 「人にひどい言葉を投げかけてしまう人より、相手のことを考えて傷ついている人の方が、僕は大好き」。誰かの何げない一言で落ち込んだ時、この言葉が届き、少しでも気持ちが軽くなるよう、願っている。(猪塚さやか)  桂宮治さんのインタビュー記事は [...]

著名人が苦しんだ思春期の葛藤・乗り越えた経験、担当記者が語る取材エピソード2025-09-04T12:03:38+09:00

「怠けている」と誤解され苦しんだみりちゃむさん「学校という場所に固執しないで」

2025-09-01T18:07:49+09:00

松本将統 薬を4種類くらい飲み、もう1回寝て、血圧が上がり始めた昼過ぎから、学校に行くような生活でした  中学1年の3学期、体にだるさを覚え始めました。毎朝、頭痛や吐き気に襲われ、病院で検査をすると「起立性調節障害」と診断されました。思春期に発症するケースが多く、自律神経の乱れで立ちくらみや 倦怠(けんたい) 感などを引き起こす病気。朝、目が覚めても起き上がれないのです。鉄剤や血圧の薬を4種類くらい飲み、もう1回寝て、血圧が上がり始めた昼過ぎから、学校に行くような生活でした。  この病気は、見た目が変わるわけではないので、なかなか周囲に理解されにくく、「サボり」といった誤解を受けやすい。小学4年生から始めたバレーボールを中学校の部活で続けていたのですが、症状が重く、運動も制限されました。中1の終わり頃に、バレー部の顧問に休部を伝えた際に、「怠けているだけだろ」と心ない言葉を浴びせられました。 朝起きられない分、夜は目がさえて眠れないことも多かった。新聞配達のバイクの音が聞こえると、「今日も眠れなかった」と気持ちが沈みました。 ある晩、寝られずにスマホを見ていると、母親に「もっと頑張りなさい」と言われ、口論になりました。朝、起きられずにけんかになって、鏡を投げつけられたこともありました。母親は病気のことを理解してくれていましたが、色々と思うところがあったのだと思います。オーディション機に、クラスの女子から無視母が味方してくれなかったら、引きこもりになっていたかもしれません 中2になっても症状は改善せず、ベッドで横になりながらスマホを見ていると、芸能事務所やファッション雑誌のオーディション情報がよく目に留まりました。「私もやってみようかな」と軽い気持ちで受け始めました。 その一つが夏休みにあり、最終審査まで進みました。それをSNSに載せたところ、クラスメートに見つかってしまいました。夏休みが明けてすぐ、スクールカーストの上位にいる「1軍メンバー」5人ほどを中心に、クラスの女子全員から無視されるようになりました。私も元々はその一員でした。でも、「病気で学校に来られないのにオーディションは受けられるんだ」と面白くなかったのでしょう。「自分より目立っている」という妬みもあったと思います。それからは教室で居心地が悪くなりました。病気で体調も優れず、思うように登校できなかったこともあり、全く登校しなくなりました。 この時は、母親も「無理して行かなくてもいい」と味方してくれました。一緒にカラオケや食事に行ったり、渋谷で買い物したり、とにかく私を外に連れ出し、気を紛らせてくれました。それがなかったら、引きこもりになっていたかもしれません。 担任の先生は事務的に話を聞いただけで、力になってはくれませんでした。学校にある相談室にも勧められて行きましたが、カウンセラーが親に言ってほしくないことも伝えてしまうなど、信用できませんでした。クラスで“孤立”も…学校の友人には固執せずしゃべる仲間がいないのはきつかったですね 芸能事務所に所属してダンスやウォーキングのレッスンを受けているうちに、友達ができ始めました。芸能事務所やSNSなども通じて新しくできた友達の中には、同じようにいじめを経験している子も結構いて、「じゃあ、別に気にしなきゃいいのか」と思えるようになりました。学校の友達との関係を、「価値観が合わない」と割り切れるようになり、無理に合わせようとしなくなることでストレスも減りました。 3学期からは、高校進学を考えて出席日数を増やそうと、6時間目だけ学校に行くようにしました。母親に車で待っていてもらい、授業が終わると、一緒に帰る毎日でした。どこから聞いたのか、「モデルやっているんでしょ」と、興味本位で声を掛けてくる男子はいましたが、教室では孤立し続け、ずっと机に突っ伏して寝ているだけ。やはり、しゃべる仲間がいないのはきつかったですね。頑張りすぎないこと…「6割くらい」の力加減でがんばりすぎない!! いじめられていた時期は、長い人生からみると、ほんの一瞬かもしれません。それでも当時はつらかった。中学や高校の時は、学校が生活の全てになってしまいがちですが、私の場合は学校以外に居場所があったことで、何とかなったと思います。学校がダメならば次の居場所を探せばいいんです。 いじめは、いじめる側が100%悪いのは間違いない。ただ、私も当時、友達との接し方を少しだけ変えていれば、違ったかもしれません。もう少し自分と向き合っていれば、周囲の対応も変わったかもしれないと今になっては思います。 中学生の頃に同性からの妬みを知ってしまい、大人になった今でも、特に女性との初対面は警戒します。2人きりになるのも苦手です。「本当は何を考えているのかな。うわべを取り繕っているだけかも」と考えてしまう。自分とそりが合わない人も少なくありません。でも、「この人はこういう考えなんだ、へえー」と緩く捉えればいい。頑張って好きになってもらおうと考えないことです。無理して仲良くなっても、その関係は結局、長続きしないと思います。 自分が好きなことや楽しいことは頑張ればいい。でも、他のことは全て、人間関係も含めて頑張りすぎないこと。6割くらいの力加減でいいと思います。失敗しても仕方ない。成功したらラッキーくらいの気持ちで、気楽にいきましょう。(松本将統)  ◇みりちゃむ 本名・大木美里亜。埼玉県出身。ユーチューブ番組の出演をきっかけに、「口 喧嘩(げんか) 最強ギャル」としてブレイク。数多くのバラエティー番組で活躍するなか、昨年度、放送されたNHK連続テレビ小説「おむすび」に、平成のギャル役として出演して注目を集めた。 関連記事 容姿からかわれた白鳥久美子さん「人生は居心地の良い場所を探す旅、学校なんて『点』のようなもの」…STOP自殺 #しんどい君へ あわせて読みたい 容姿からかわれた白鳥久美子さん「人生は居心地の良い場所を探す旅、学校なんて『点』のようなもの」…STOP自殺 #しんどい君へ「何げない一言」に傷ついた桂宮治さん、「アンテナが多いのは個性」「逃げるのは悪いことじゃない」…STOP自殺 #しんどい君へ経済苦で憧れは「普通の家庭」、練習に励んだ姫野和樹さん「つらくても夢を持って」…STOP自殺 #しんどい君へ孤立した子どもたち、「居場所」見つけ「自分が肯定されたよう」…STOP自殺 #しんどい君へ

「怠けている」と誤解され苦しんだみりちゃむさん「学校という場所に固執しないで」2025-09-01T18:07:49+09:00

言葉がわからず仲間外れにされた森崎ウィンさん「苦しい経験を先にできたからラッキーと考えて」

2025-09-01T12:11:16+09:00

染木彩 俳優・アーティスト 森崎ウィンさん(35) ミャンマー出身の俳優・アーティストの森崎ウィンさん(35)は、9歳から日本で暮らし始めた。最初は言葉がわからず、学校で仲間外れにされた。嫌がらせを受けながらも大好きなサッカーを続けたことで、周りの態度が変わっていったという。「生きるってしんどい。でも、生きていれば絶対に楽しいことがある」と呼びかける。「あっち行け」「入ってくんな」家でも学校でも新しい関係を築かなければならず、逃げ場はありませんでした  ミャンマーのヤンゴンで生まれました。両親は僕が生まれてすぐ、日本で働き始め、僕はおばあちゃんとヤンゴンで暮らしていました。 日本に来たのは小学4年になる春。それまで両親とは年に1回会えるかどうかでした。ですが、家族が一緒に暮らせる喜びより、知らない土地でゼロからスタートする不安の方が大きかったことを覚えています。 東京都内の公立小学校に転入しましたが、その頃、僕が話せた日本語は「こんにちは、ウィンです」と「ありがとうございます」くらい。なかなか遊びの輪に入れず、休み時間はしんどかったですね。 ある日、屋上で追いかけっこをしていた男子グループの仲間に入りたくて、隣で一緒に走ってみました。すると、「あっち行け」「入ってくんな」と追い払われ、蹴られもしました。クラスの人気者だった男子が中心になって、僕を仲間外れにしました。寂しくて、悲しくて、悔しくて。屋上の柵にもたれながら、めちゃくちゃ泣きました。 学校に、行きたくなかった。でも両親は厳しくて、学校を休むという選択肢はありませんでした。学校で嫌なことがあったと相談することもできなかった。家でも学校でも新しい関係を築かなければならず、逃げ場はありませんでした。「キーパーを代わってやるよ」僕は、もともと負けず嫌いで諦めの悪い性格です 僕は、もともと負けず嫌いで諦めの悪い性格です。 ミャンマーにいた時からサッカーが好きでした。放課後、サッカーをしている同級生や先輩のいるグラウンドへ行くと、キーパーを毎日のように押しつけられました。シュートを止められないと先輩が怒るから、誰もやりたくないんです。 ある日、一人の先輩が「キーパーを代わってやるよ」と言ってくれました。泣きながらでも続けていたので、根負けしたのかもしれません。それからは、僕を仲間外れにしていたクラスの人気者とも、サッカーを通じて仲良くなりました。学校の階段でからかわれている時、彼は僕を守ってくれました。純粋に、うれしかった。根っから悪いやつなんて、そんなにいないんだと思えました。生きているからこそ面白いことに出会える下を向いてしまった時は、ちょっとだけ顔を上げて、未来を想像してみてください 中学2年の時にスカウトされ、芸能界の仕事を始めましたが、挫折の連続でした。いくつオーディションに落ちたことか。27歳の時にスティーブン・スピルバーグ監督のハリウッド映画に出演でき、やっと、この仕事を続けていいんだと考えられるようになりました。 今、しんどい思いをしている人は、「他の人より苦しい場面が早く来ちゃったな。先に経験できたから、あとで楽ができてラッキーだな」と考えてみてはどうでしょうか。生きるのは大変ですが、生きているからこそ面白いことに出会えます。下を向いてしまった時は、ちょっとだけ顔を上げて、未来を想像してみてください。(染木彩、おわり) ◇もりさき・うぃん ミャンマー出身。中学2年で芸能活動を始め、舞台出演や雑誌モデルを経験。2018年公開の映画「レディ・プレイヤー1」でハリウッドデビューした。23年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では江戸幕府2代将軍の徳川秀忠を演じた。 関連記事 容姿からかわれた白鳥久美子さん「人生は居心地の良い場所を探す旅、学校なんて『点』のようなもの」…STOP自殺 #しんどい君へ あわせて読みたい 横山裕さん、焦り・苦しさあったけど「一人で背負わない方がいい」…STOP自殺 #しんどい君へ「仲間外れ」で学校を休みがちになった井上咲楽さん、「人間関係は時とともに変化するもの」…STOP自殺 #しんどい君へ「何げない一言」に傷ついた桂宮治さん、「アンテナが多いのは個性」「逃げるのは悪いことじゃない」…STOP自殺 #しんどい君へ経済苦で憧れは「普通の家庭」、練習に励んだ姫野和樹さん「つらくても夢を持って」…STOP自殺 #しんどい君へ

言葉がわからず仲間外れにされた森崎ウィンさん「苦しい経験を先にできたからラッキーと考えて」2025-09-01T12:11:16+09:00

「仲間外れ」で学校を休みがちになった井上咲楽さん、「人間関係は時とともに変化するもの」

2025-08-29T18:10:07+09:00

宇田和幸 タレント 井上咲楽さん(25) タレントの井上咲楽さん(25)は、高校時代、先輩から「ブス」と言われたり、同級生に仲間外れにされたりして、次第に学校に行けなくなりました。明るく元気なキャラクターでバラエティーからニュース番組まで活躍の場を広げていますが、「自己肯定感が低いため、今も悩みを深めてしまうことがある」と言います。苦しい高校生活で救いになったのが、芸能界という外の「世界」。楽しそうに働く大人を見て、狭い世界のことで悩んでいる時間がもったいないと思えました。ネガティブな気持ちを日記に吐き出すことで気持ちを整理しているそうで、「うまくいかずに悩む自分を責めず、それも多面的な自分の一部だと受け入れてほしい」と語ります。人見知りだけど負けん気が強かった「テレビに出たい」というあこがれを持っていました 実家は栃木県南東部の山奥にあります。4人姉妹の長女で、自然に囲まれて育ちました。  幼い時から、同年代の子たちがテレビに出ている姿を見て、「テレビに出たい」というあこがれを持っていました。 でも、小学生の頃は内気で人見知り。友達も少なかったけれど、負けん気が強くて、頑固な性格でした。休み時間は図書室で本を読んで過ごすことが多かったのですが、実は、教室で目立つ存在の女子にあこがれていました。でも、自分はそんなに明るくは振る舞えない。そのことにコンプレックスを抱えていました。中学校ではいじられキャラ、高校で孤立卒業文集には、将来の夢を「お笑い芸人」と書きました 中学校入学後は、バレーボール部に入りました。同じクラスの子に誘われたことがうれしくて入部しましたが、部員の明るさや声の大きさに驚き、最初はなじめませんでした。でも、土日も含めて一日のほとんどをチームの仲間と過ごすようになり、徐々に協調性が身に付いていきました。「いじられキャラ」になり、よく友達を笑わせるようにもなりました。先生のものまねがウケて、特徴的な太い眉毛をいじられ、笑いを取っていました。卒業文集には、将来の夢を「お笑い芸人」と書きました。 ですが、高校に入ると、友人関係がうまくいかなくなりました。知らない子ばかりで、自己紹介はスベるし、うまく友だちも作れない。中学生の時は、人を笑わせる才能があったわけじゃなく、友だちにいじられて笑われていただけなんだと気づきました。 ただ、テレビに出たいという思いは強く、芸能事務所のオーディションをたくさん受けました。高1の夏に事務所のオーディションで特別賞をもらい、芸能活動が始まりました。学校と現場を忙しく行き来するようなキラキラした学園生活を想像していましたが、現実はうまくいきませんでした。先輩からは「ブス」、仲間はずれで一人弁当…不登校に理想の姿に、自分が全然追いついていない気がして、苦しくなっていきました 仕事で東京へ行くのは週1回くらい。先輩からは廊下ですれ違いざまに、「ブス」「何であんな顔で」と言われることもありました。学園祭で一緒に写真を撮った他校の生徒が、帰りの駅のホームで「せっかく見に来たのに普通だった」と話しているのを聞いたこともあります。 高2になると、テレビ出演が増えたからか、同級生グループからも反感を買うように。口を聞いてもらえなくなり、一人でお弁当を食べる日が続きました。「みんなが私の悪口を言っているのでは」と怖くなり、「『仕事がないから登校している』とみられたくない」という思いも重なって、次第に学校を休むようになりました。 慕ってくれていると思っていた後輩が、そうではなかった時はショックでした。その後輩は「テレビ見ました。かわいかったです」と声をかけてくれたのですが、SNSに「不細工のくせに、私の推しと共演できてマジむかつく」と投稿していたのです。「人間って怖い。みんな信用できない」と思いました。 欠席が増えると、先生や高1からの友人は心配してくれました。「具合が悪いの?」「大丈夫?」と連絡をくれるけれど、その優しさを受け入れる余裕もなかった。両親からは「学校に行きなさいよ」と言われました。どんどん意固地になって、朝10分寝坊しただけで、「自分はダメ人間。もう学校に行けない」となりました。理想の姿に、自分が全然追いついていない気がして、苦しくなっていきました。人を信用できず、反抗的に 学校に行かないことで、「私は色んな人に迷惑をかけながら生きているんだ」と罪悪感も膨らんでいきました。週1、2回ほど登校しても、誰もいないパソコンルームに隠れたり、休み時間や授業中は机に突っ伏したりしていました。先生は、将来を心配して大学受験を勧めてくれましたが、「芸能活動がうまくいかないと言いたいの? 私を信用していないの?」と反抗的な気持ちになりました。 でも、受験シーズン目前の高3の秋頃、「大学で学べば、知識も増えてテレビでうまく話せるようになるかもしれない」と思い、大学受験を決意しました。塾にも通いましたが、付け焼き刃で合格できるほど大学受験は甘くありません。結果は不合格でした。 つらく長く感じた高校生活でしたが、最後に気付かされたこともありました。 卒業式は仕事が重なり出られませんでしたが、春休みに補習で登校したタイミングで、クラスメートがサプライズで、私のために卒業式を開いてくれました。教室の黒板には卒業を祝うメッセージが書かれていて、花束も用意されていました。勝手に「全員が敵」「みんな私のことが嫌い」と思い込んでいましたが、周りには、普通にあいさつや話をしてくれる友達もいたのです。一緒に遊んだこともなく、連絡先を知らない子たちでしたが、こんなに優しく見守ってくれていたんだと身に染みました。もう一つの「世界」 苦しい高校生活の中で救いになったのが、外のコミュニティーです。それが、私にとっては、芸能界でした。 東京の事務所やテレビ局に行くと、愚痴をこぼしながらも楽しそうに仕事をしている大人たちがたくさんいました。いろんな人がいて、いろんな世界があると知ることで、高校という狭い世界のことで悩んでいる時間がもったいないと思えたのです。 多くの子どもたちは、学校と家の二つの世界で生きていると思います。アルバイトでも趣味でもいい、別の世界を見つけてみてください。自分の枠から出て、いろいろな経験をした人から話を聞くと、今悩んでいることがばかばかしく思えることがあるのです。 私も高校生の時に相談した事務所のマネジャーから、「学校の同級生とは5年後にはつきあっていないよ」と言われました。当時は素直にその言葉を受け止められませんでしたが、いまではよく分かります。高校にいた160人ほどの同級生のうち、今でも頻繁に会うのは数人だけです。当時は仲が良くても、いつの間にか会わなくなっている。そんなものです。 人間関係は時間とともに必ず変化していきます。学校が世界の全てだと思い込んでいましたが、大人は世界がもっともっと広いことを知っています。 同級生が誰になるかは「くじ」のようなもの。努力して入った高校でも周りの人がどんな人かなんて分かりません。うまくいかなかったら、「外れくじを引いたかもな」と割り切って、他の友達や別の世界を探すということも大切だと思います。学校は狭い世界。別の世界にコミュニティーを見つければいいのです。「きょうも生きてみるか」くらいの朝を人間関係は必ず変化していきます! 実は、大学に進学できなかったことはいまだに後悔があります。大学生の姿を見ると、「苦しい受験勉強をくぐり抜けたすごい人」に見えます。このコンプレックスは一生消えないかもしれません。 ですが、これまでも、私は自分に足りない部分を埋めようともがいてきました。社会をもっと知り、仕事に生かそうと政治のことを調べ始め、新聞記事のスクラップや国会傍聴を続けてきました。選挙では候補者の演説内容をこまめにメモした「選挙ノート」を作成。選挙番組に呼ばれ、インタビューを受けることもあります。 なりたい自分に追いつかずに苦しむ「私」と、それに追いつこうとする「私」。うまくいっても、常に何か足りないと焦っています。理想は高いのに、自己肯定感が低いため、感情が行ったり来たりします。 そんな自分の気持ちを受け止め、整理する助けになっているのが中1の時から続けている日記です。コツは毎日書こうとしないこと。私はやり続けると決めたことが途切れると、「もうやめた」と全部をやめたくなるのですが、日記だけは続かないことも許しています。楽しく忙しい日が続けば、3か月くらい書かないこともあります。でも、書きたい時は、その日の出来事やネガティブな感情をはき出すように書き連ねています。 自己肯定感が低くてつらい人は、うまくいかずに悩む自分を責めず、多面的な自分の一部だと受け入れてみてください。人と比べなくていい。元気にならなくてもいい。「きょうも生きてみるか」くらいの気持ちで朝を迎えてくれるといいなと思います。(宇田和幸) ◇いのうえ・さくら 栃木県出身。県立高1年の時にホリプロタレントスカウトキャラバンで特別賞を受け、芸能界デビュー。昆虫食や国会傍聴、マラソンなど多彩な趣味を持つ。著書に過去のいじめ体験などをつづった「じんせい手帖」(徳間書店)など。 関連記事 夏休み終わり「死にたい」子どもは4人に1人…NPO調査、「SOS発信しやすい関係作り必要」 あわせて読みたい 中学生で親に捨てられた大東駿介さん、救いは俳優になる夢「乗り越えた先の人生は楽しい」…STOP自殺 #しんどい君へバッシングでうつ病になった兒玉遥さん、いま大切にする「自分の基準」…STOP自殺 #しんどい君へ同級生から避けられ、2度いじめを経験した森保一監督「自分を認めてくれる人は必ずいる」…STOP自殺 #しんどい君へ「夢中になれることを見つけて」いじめられ留学先でも孤独だった 池澤春菜さん、苦しさ救った「自分の世界」…STOP自殺 #しんどい君へ

「仲間外れ」で学校を休みがちになった井上咲楽さん、「人間関係は時とともに変化するもの」2025-08-29T18:10:07+09:00

「ケーキ」地下に集密書架 近未来的 歴史の重みも<東京科学大学>

2025-08-28T12:13:18+09:00

上田詔子 学生たちが「チーズケーキ」と呼ぶ図書館の学習棟。V字の柱に支えられ、宙に浮いているようだ  校名を刻んだ正門の銘板はまだ新しく、夏の 陽(ひ) の下に輝いていた。これから訪ねる施設の愛称は、チーズケーキ。気分を高揚させながら歩いて行くと、宙に浮かぶように立つガラス張りの建物が見えた。  東京科学大・大岡山キャンパス(東京都目黒区)の図書館。側面が長方形のため四角い箱形と想像していたが、近付くと、それは「三角柱」だった。学生たちが、ケーキと呼んでいることに納得した。電動の集密書架には、本がぎっしり詰まっている 約64万4000冊の蔵書の多くは地下に収められている。ケーキの最も鋭い頂点の下に開いた口から、潜っていく。たどり着いた先に広がる空間は、まるで「知の洞窟」だ。とはいえ圧迫感はなく、地下1階中央の閲覧スペースは天井が6メートル超もあるという。周りにコンクリート製の円柱が延び、静穏な空気が漂う。 地上のケーキは、ひとりでリポートをまとめる時やグループ学習の場に利用されている。地上と地下が一体となって図書館を構成していた。地上と地下で一体となっていることがわかる夜の図書館 「キャンパス中心の桜並木と周辺の緑との調和を邪魔しないよう、地上部分は軽快に。一方、先人の知を共有するには多くの本に囲まれていることが大切で、図書館機能は地下に集約した」。設計を担当した名誉教授の安田幸一さん(66)は、そう話す。 限られた地下空間であっても、学生たちがなるべく多くの本を直接手に取れるよう導入したのが、可動式の「集密書架」だ。地下1階中央の閲覧スペースには外の光も差し込み、圧迫感がない 高さは天井間際まであり、横幅は約3・75メートル。普段は書架と書架が密接しているが、通路に面したボタンを押すと、ゆっくり開く。書架1台で1200~1600冊の収容能力があり、地下1階と2階に据えた289台に約31万2000冊が収められている。 スポーツ工学を研究する工学院修士課程2年の竹本直人さん(24)は「集密書架の奥には、時代を超えて引き継がれてきた本があります。近未来的な雰囲気の中で、歴史の重みを感じます」と語る。 なかでも「好奇心がくすぐられる」というのが、国の科学研究費を得て進めた研究の報告書を収めた書架だ。知っている研究者の名前を見つけると引っ張り出し、ページをめくるという。 工学院3年の川上真輝さん(20)は、ロケット工学の本を3冊手にしていた。教科書の指定がない講義もあり、「体系的に理解を深めるのに役立つ本はないかな」と探し当て、借りたのだという。 館内では、書架に囲まれた席がお気に入りで、「他の学生の視線を気にせず、ひとりで集中できるんです」と川上さん。「試験の1週間前から、普段より2時間遅い午後11時まで利用できるので、籠もって勉強しています」と笑う。 昨年度の入館者は1日平均約700人。閉鎖やオンラインでの講義が続いたコロナ禍後は年々、増える傾向にある。 環境・社会理工学院1年の樽井亮太さん(19)は入学後、情報収集の軸足がネットから紙の本に移った。「図書館で、たくさんの本に囲まれている影響が大きいかな」。最近は、しばらく遠ざかっていた小説も借り、読書の幅が広がっていることを実感している。 「テクノロジーや通信環境が劇的に進化しても、未知の知識への学生の憧れは変わらない。大学図書館は、探究を支える存在であり続けたい」。物質理工学院教授で館長の森川淳子さん(60)の思いは、きっと学生たちに届いている。文・上田詔子写真・林陽一[至宝]「学問の融合」象徴する書 イタリアで1792年に出版された「筋肉運動による電気の力」第2版。巻末に、実験図版がある。死んだカエルの神経を2種類の金属で挟むと脚がけいれんする――。後に、異なる金属の接触が電気を生むことの発見につながるこの実験は、電池の発明に応用された。  旧東京工業大が1987年度に購入した電気磁気学の古典140点の一つ。講師の 多久和(たくわ) 理実さん(38)は「科学者たちが試行錯誤した歴史の重みを感じさせる」と話す。  著者のルイージ・ガルバーニ(1737~98年)は医師で、物理学者でもあった。図書館情報管理課長の原竹留美さん(52)は「学問の融合を体現した人物による実験の記録はきっと、科学大生の刺激となる」と語る。[学長に聞く]心震える出会い 大切に…田中雄二郎さん(71) 東京医科歯科大の学生の頃から、何度読んでも心が震える本との出会いを大切にしています。今も繰り返し読むのは、「徒然草」や日本軍が敗れた原因を分析した「失敗の本質」など20冊ほど。学んだ教訓は、コロナ禍と重なった医科歯科大の学長時代、医師や看護師らの心身の健康に目配りすることへとつながり、結果的に多くの重症患者さんを受け入れることができました。 図書館では本を探し、見比べながら読むことができます。ネットに代替できない大切な機能です。偏った情報があふれる時代にこそ、有為な場所なのです。   ■大学概要  ともに国立の東京工業大と東京医科歯科大が統合し、2024年10月に誕生した。愛称は「SCIENCE TOKYO」。東工大は1881年(明治14年)創立の東京職工学校、医科歯科大は1928年(昭和3年)の東京高等歯科医学校が源流。理、工、医、歯など8学部があり、大学院と一体化した旧東工大系の学部は「学院」と呼ぶ。学生数は約1万3000人。大岡山と科学大病院のある湯島(文京区)など東京都内の4か所と横浜市、千葉県市川市に計6キャンパスがある。   ■図書館 [...]

「ケーキ」地下に集密書架 近未来的 歴史の重みも<東京科学大学>2025-08-28T12:13:18+09:00

経済苦で憧れは「普通の家庭」、練習に励んだ姫野和樹さん「つらくても夢を持って」

2025-08-26T12:06:08+09:00

宇田和幸 ラグビー選手 姫野和樹さん(31 )  ラグビー選手の姫野和樹さん(31)は、給食費が払えないなど経済的に苦しい家庭環境で育った。大切なお金をなくし、申し訳なくて自ら命を絶とうとしたことも。ラグビーと出会い、「この境遇から抜け出そう」と練習に励み、日本代表になった今、貧困でつらい思いをする子どもたちに「夢を持って」と呼びかける。「なんで普通の家じゃないんだろう」「貧乏なことを誰にも知られたくない」という気持ちが大きかったですね 名古屋市にある古いアパートの6畳2間に両親と姉、妹の5人で暮らしていました。小学校では給食費を何か月も滞納し、繰り返し督促されました。両親とも働いていましたが、給料がパチンコに消えることもあり、お金のことでけんかが絶えない。家に居たくなくて、いつも公園の遊具やアパートの外階段に座って深夜まで月を眺め、「なんで普通の家じゃないんだろう」と思っていました。  ラグビーと出会ったのは中学生の時です。1メートル70あった身長にラグビー部の顧問が注目してくれ、軽い気持ちで練習に参加しました。相手を突き飛ばしても反則にならず褒められる。すぐにのめり込みました。 県の選抜チームからも声がかかりましたが、遠征には3万円以上かかる。親に言い出せず、メンバーに選ばれないよう、本来と違うポジションで選考に参加し、落ちました。「貧乏なことを誰にも知られたくない」という気持ちが大きかったですね。 「もう、死んで楽になろう」と考えたことがあります。給食費だったと思うのですが、滞納分を支払うために親からもらった大事なお金をなくしてしまったんです。自分ではどうすることもできず、台所から包丁を持ち出しました。 その時、友達の顔が思い浮かびました。肉まんやアイスを半分にして分け合ったことや、公園でくだらない話をした時間。お金がなくても楽しかった思い出がよみがえり、踏みとどまれたのだと思います。「100円の重み忘れたくない」今もつける家計簿ラグビーの練習に打ち込んでいると、家のことも忘れられました(2023年のラグビーW杯フランス大会で) 苦しい家庭環境でも非行に走らなかったのはラグビーがあったから。シューズには穴が開きジャージーもぼろぼろでしたが、体一つあればプレーできる。練習に打ち込んでいると、家のことも忘れられました。 高校と大学はラグビーの強豪校に推薦で入学できましたが、お金が足りず、指導者に合宿費を借りることもありました。ありがたかったですが、情けないし恥ずかしかった。「この生活から抜け出してやる」と決意し、練習に励みました。 貧しい暮らしを抜け出せたと思えるようになったのは、大学卒業後、現在のチームに所属し、自分で稼げるようになってから。ですが、安定した収入や生活が得られた今も、「100円の重み」を忘れたくなくて、家計簿をつけています。「心を鍛えて常に一流であれ」どんな子にも、きっと、夢中になれることや楽しいことが見つかります どんな子にも、きっと、夢中になれることや楽しいことが見つかります。志を持っていれば、必ず道は開けてきます。中学の顧問から言われた「心を鍛えて常に一流であれ」という言葉は今も胸に刻んでいます。  回らない 寿司(すし) や、でっかいステーキを食べられるようになった今も、子どもの頃に友達が半分くれた肉まんやアイスよりおいしいものは、食べたことがありません。あれは「優しさの塊」でできていて、大人では出会えない味だったな。  今は苦しいかもしれないけれど、そんな感性も大事にしてほしい。大丈夫。生きていれば何とかなります。(宇田和幸) ◇ひめの・かずき 名古屋市出身。春日丘高(現・中部大春日丘高)から帝京大を経て、トップリーグ(現・リーグワン)のトヨタに加入。2019年からラグビーワールドカップに出場し、23年大会では主将を務めた。著書に「姫野ノート『弱さ』と闘う53の言葉」(飛鳥新社)。 関連記事 「仲間外れ」で学校を休みがちになった井上咲楽さん、「人間関係は時とともに変化するもの」…STOP自殺 #しんどい君へ あわせて読みたい 中学生で親に捨てられた大東駿介さん、救いは俳優になる夢「乗り越えた先の人生は楽しい」…STOP自殺 #しんどい君へバッシングでうつ病になった兒玉遥さん、いま大切にする「自分の基準」…STOP自殺 #しんどい君へ同級生から避けられ、2度いじめを経験した森保一監督「自分を認めてくれる人は必ずいる」…STOP自殺 #しんどい君へ「夢中になれることを見つけて」いじめられ留学先でも孤独だった 池澤春菜さん、苦しさ救った「自分の世界」…STOP自殺 #しんどい君へ

経済苦で憧れは「普通の家庭」、練習に励んだ姫野和樹さん「つらくても夢を持って」2025-08-26T12:06:08+09:00

黒い書架 感性の源…2棟構成 楽譜や画集ずらり<東京芸術大学>

2025-07-24T18:22:28+09:00

松本将統 増築棟の2階は「秘密基地」のよう。書架に収まった画集や写真集の背表紙が色鮮やかだ 東京の上野公園は、芸術の集積地だ。美術館や博物館が点在する森の一角に、東京芸術大の上野キャンパス(東京都台東区)はある。 上野の森に溶け込むように立つ図書館  その図書館も、木々にうずもれるように立つ。二つの棟で構成され、築60年の既存棟から足を踏み入れると、55の閲覧席を配した空間が広がる。天井を走る格子状の 梁(はり) は、コンクリートの地肌を生かした重厚な造りだ。  音楽学部作曲科3年の鷲山幸希さん(21)は、五線紙と向き合っていた。詩人・萩原朔太郎の「鶏」に曲をつける課題に取り組んでいた。手元には作曲家・三善晃の歌曲集。「とにかく楽譜が充実しています。静かな環境で、ここでなら作曲に集中できるんです」と話した。 レコードやCDを含む収蔵資料は42万点。うち楽譜は8万冊近くに上る。驚いていると、資料サービス係長の西山朋代さん(56)が、書庫からバッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の楽譜を持ち出してきてくれた。 その数、約30冊。第1番の前奏曲は「アヴェ・マリア」の伴奏に使われていることでも有名だという。「それぞれ指遣いや強弱記号などが違っている。同じ曲でも、これだけの種類の楽譜がある」と西山さん。奥深さに感嘆した。 蔵書の多くは、2017年に完工した増築棟にある。3階建ての建物の2階は黒を基調にした2層構造で、吹き抜けに立つと「中2階」と呼ぶ上層の書架も見える。この2層に収められているのは、約7万5000冊の画集や写真集。赤や青、黄といった色鮮やかな背表紙が黒い書架の中に浮かび、きらびやかだ。 大学院で版画を専攻する久保田智広さん(33)が手にしていたのは、現代アートをけん引する米国のフォトグラファーの写真集など3冊。「アート関連の書籍は装丁も一つの作品です。様々なアイデアを得るために専門以外の本にも触れるようにしています」と教えてくれた。階段の踊り場は小さなステージ。閉館の生演奏が披露されることも 増築棟の地下1階から3階まで貫く階段スペースは、教会のように音が反響する。2階と3階の踊り場は、音楽家の卵たちの小さなステージになっている。夏休みや春休みの期間中、ここに立って、閉館を告げる午後5時のチャイムの代わりに演奏を披露しているという。 これまで、バイオリンやハープ、尺八など多彩な楽器が奏でられてきた。今春、大学院を修了して図書館でアルバイトをしているフルート奏者の石田みそらさん(25)は、2回の演奏歴がある。「友人も聴きに来てくれ、アットホームな演奏会となりました」と振り返る。 古今東西の美術や音楽にまつわる収蔵資料の中で、特に貴重なものは約1200点。学生たちが「卒業制作」で手がける作品も、後に芸術家として大成するまでの軌跡をたどるのに貴重な資料だ。 とはいえ、学生生活の集大成として打ち込んだ絵画や彫刻などは、そのまま保管できない。その一つ一つを撮影して、アルバムにまとめている。最古の1冊は、1900年(明治33年)の制作集だ。 美術学部教授で、図書館長の松下計さん(64)は言う。「ふと手に取った1冊との出会いが、思いがけない発想の扉を開いてくれることがある。芸大の図書館は、学生や教職員たちのインスピレーションの源になっている」 ここは先人の知恵を授け、表現者の感性を育む場所なのだと感じ入った。文・松本将統写真・飯島啓太[至宝]日本ピアノ教育のはじまり  著者であるドイツの作曲家名を冠したピアノの教則本「バイエル」。日本には1879年(明治12年)、東京芸大の源流の一つで明治政府が文部省に設けた「音楽 取調掛(とりしらべがかり) 」に伝わったのが最初とされ、貴重書庫に保管されている。  中表紙には「文部省書庫」の角印が押され、「十六ノ壱」の朱の文字。全部で16冊入ったうちの1冊目という意味だ。現在も芸大に残るのは、うち10冊。使い込まれた楽譜は手擦れで傷み、端には和紙で補修された跡が見える。 資料サービス係長の西山さんは「このバイエルでピアノを習得した学生が教員となり、全国に広めていったのだろう。日本におけるピアノ教育の礎だ」と語る。[学長に聞く]持ってめくって本と対話…日比野克彦さん(66) 本には重さや厚みがあります。「モノ」として、そこに存在しています。本を持っている時の重さ、ページをめくる時の触感、におい――。AI(人工知能)とのやり取りでも知識は得られるかもしれませんが、「第六感」とも言われるひらめきは自分で持ったり、めくったり、実在するモノとの対話から生まれてくるのではないでしょうか。芸術を学ぶ学生に、大切にしてほしい観点です。 芸大の図書館には、美術書や楽譜、レコードなどを保存していく役割があります。周辺の文化施設と連携しながら、コミュニケーションの場としても活用していきたいと考えています。東京芸術大 ■大学概要 ともに1887年(明治20年)創立の東京美術学校と東京音楽学校を統合し、1949年(昭和24年)に設置された国立唯一の総合芸術大学。絵画や彫刻など7学科を擁する「美術」と、作曲や声楽など7学科を持つ「音楽」の2学部がある。大学院と合わせた学生数は約3300人。国内外で活躍する芸術家を多数輩出し、前身時代を含め卒業生には日本画家の東山魁夷氏や平山郁夫氏、音楽家の坂本龍一氏らがいる。上野と取手(茨城県取手市)、横浜、千住(東京都足立区)の4キャンパスがある。 ■図書館 上野キャンパスの図書館はA棟(既存棟)とB棟(増築棟)で構成され、いずれも地上3階、地下1階建て。延べ床面積は計約5300平方メートル。他で資料の閲覧や入手が難しい場合に限り、申請の上で学外者も利用できる。取手キャンパスには約2万7000点を収めた分室がある。 ■図書館の写真特集は こちら 関連記事 苦難刻む土地で未来思索 王朝、沖縄戦…蔵書5万冊<琉球大> [...]

黒い書架 感性の源…2棟構成 楽譜や画集ずらり<東京芸術大学>2025-07-24T18:22:28+09:00

苦難刻む土地で未来思索 王朝、沖縄戦…蔵書5万冊<琉球大>

2025-06-26T12:07:13+09:00

美根京子 シーサー像が出迎える付属図書館。学生は親しみを込めて「学ぶシーサー」と呼んでいる  ガジュマルやデイゴが茂る南の自然豊かな琉球大 千原(せんばる) キャンパス(沖縄県西原町)。広大な敷地内に、六つの学部の建物群が街のように点在している。どの学部からも行きやすい中央に構えているのが、3階建ての付属図書館だ。  正面玄関は2階にある。階段を上ると、魔よけの獅子「シーサー」が対になって鎮座していた。口を開けた1体は閉じた本の上に左足を、口を結んだ1体は広げた本の上に右足をのせている。  2体を据えた台座には、論語の一節にある「 学而不厭(がくじふえん) 」の文字。日本人で初めてノーベル賞を受けた湯川秀樹博士(1907~81年)が1963年に大学を訪れた際、 揮毫(きごう) したものを刻んだ。「学び、学び、そして学ぶ。決してあきるということはない」。台座に添えられていた意味を読んで、背筋が伸びる。  館内に広がる学びの空間を想像しながら、シーサーと別れた。 今年は戦後80年。2階の奥まった場所にある「沖縄開架資料室」に足が向いた。室内の壁の一部には琉球石灰岩が使われ、柱は沖縄の伝統的な織物「ミンサー」の特徴的な柄で彩られている。中国や東南アジア諸国との交易を記録した琉球王朝時代の古文書の複製や、先の大戦で国内唯一の地上戦となった沖縄戦を経験した住民たちの証言集が並ぶ。沖縄開架資料室には戦後80年の今年、特に多くの学生たちが訪れる  閉架資料を含め、沖縄にまつわる蔵書は約5万冊。沖縄戦当時の県知事の働きについてどう教えるかを卒業論文でまとめる教育学部4年の福中 颯生(れお) さん(21)は「ここに来ると、県史や市町村史で当時の行政の動きがわかり、過去の沖縄戦研究も遡ることができます。週の半分以上は利用しています」と話す。 [...]

苦難刻む土地で未来思索 王朝、沖縄戦…蔵書5万冊<琉球大>2025-06-26T12:07:13+09:00

書架の階段 机も兼ねる 周りに仲間「気が引き締まる」<東京理科大>

2025-05-22T12:22:51+09:00

階段状に設けられた書架の上は閲覧席。膨大な本の迫力と学びに励む学生の姿に圧倒される 再開発で生まれ変わった緑の多い街と一体化した東京理科大の葛飾キャンパス(東京都葛飾区)。中央を貫く石畳の道に沿って、まだ真新しい建物が並ぶ。道の先の木立の向こうに控える図書館は、このキャンパスの最先端の研究を支えている。  館内に足を踏み入れると、そこは吹き抜けの空間。階段状に配された書架の本が、視界に押し寄せてくる。書架の上は机になっており、カウンター状の閲覧席だ。本を読んだり、ノートにペンを走らせたり。学生たちが研究に打ち込む。  工学部3年の坂口 祥梧(しょうご) さん(21)は最上段の席がお気に入り。「周りを見ると、熱心に勉強する仲間たちがいます。『自分も頑張らなければ』と、気持ちが引き締まります」と話す。  蔵書約14万冊の8割が理系の専門書だ。先進工学部教授で、館長の菊池明彦さん(61)は「必要なデータが蓄積されている教科書は目立つように配架している。専門書の取りそろえは、大学図書館としては有数の規模だ」と胸を張る。  実験授業を終えたばかりという工学部2年の川崎 碧海(あおみ) さん(19)は、リポートを書くため5冊を借りた。目当ての本は貸し出し中だったが、「同じ実験をした人かなと思うと、親近感がわきました。先に譲ります」と、ほほ笑んだ。 石畳の道が行き着く先の図書館には、多くの学生が集まる 館内の閲覧席は600余り。議論にうってつけの円卓席などもある。 異彩を放つのが「黙考書院」と呼ばれるスペース。ソファ席が中心のラウンジのような空間で、静かに読書することに重きを置いた。実験データの処理などでパソコンを使うことの多い理系学生であっても、ここでは利用禁止だ。 先進工学部3年の金木美佑紀さん(21)は「資料をじっくり読み込むのにぴったりの環境なので、集中できるんです」と語る。 一方で、学生が一息つけるような工夫も凝らす。常設の教員推薦書を並べたコーナーには、漫画や自己啓発本もあり、季節に合わせた企画展が頻繁に開かれている。 訪れた5月の上旬は、「数式なしで語る数学」「『かわいい』工学」など、研究の世界に足を踏み入れた新入生たちが、つい手に取りたくなる約80冊が集められていた。水辺を配した効果で、図書館は水上に浮かぶ神殿のようだ 「読書を身近なものにするため、易しくわかりやすい本を選んだ」。図書館スタッフの堀田葉子さん(30)が教えてくれた。 図書館を後にし、石畳の道に差し掛かると、路面に英語で「2006 iPS細胞の作製」と刻まれているのに気が付いた。 興味をそそられ、キャンパスの正面に向かって一つ一つ拾っていく。「1938 ウラン核分裂の発見」「1866 ダイナマイトの発明」と、年代が遡っていった。 始まりは、「1455 活版印刷技術の発明」だった。この技術によって書籍の刊行が盛んになり、知識の共有が進んで、科学や文化の発展につながった――。そんな理由で起点にしたという。 科学史をたどるように道に刻まれているのは106項目。このキャンパスから、次の成果が生まれることを想像すると、胸が躍った。文・宇田和幸写真・武藤要<至宝>相対性理論いち早く紹介 手あかがついた紙に「あるべると・あいんすたいん」の文字。「相対性理論」を確立したアインシュタインの考えを日本にいち早く伝えた「東京物理学校雑誌」の原本を所蔵する。 理論の完成が正式発表される5年前の1911年(明治44年)に刊行の雑誌232号。日本人でアインシュタインに初めて会った物理学者の論文で、「ぷらんく」「にゆーとん」らの名も挙げ、「新観念ノ説明ヲコヽニ試ミヤウト思フ」と記されている。 学芸員の大石和江さん(58)は、「相対性理論は最先端の宇宙研究やGPS(全地球測位システム)など、現代物理学にも応用されている。論文からは、古くて新しい『物の理』を解き明かそうとする過程が読み取れる」と話す。[学長に聞く]読むだけでなく考えて…石川正俊さん(70)  科学技術が発展した現代だからこそ、知識や情報をどう活用するかが問われます。例えば夏目漱石の「坊っちゃん」には、主人公が適当に勉強していたら東京物理学校を卒業できた――との一節がありますが、当時は卒業が極めて困難な時代。時代背景や、漱石風の斜に構えた 婉曲(えんきょく) 表現を知っていれば、人並みの勉強で難関を突破したという自慢話に仕立てたのだとわかります。  図書館は単なる知の集約拠点ではありません。人間の知能がどう働くかを想像する空間です。ただ本を読むのではなく、立ち止まってじっくり考える時間も持ってほしいと思います。東京理科大 ■大学概要 東京大理学部の卒業生ら21人が1881年(明治14年)に創設した「東京物理学講習所」が源流。東京物理学校への改称を経て、1949年(昭和24年)に現在の大学となった。理、薬、工など7学部を擁し、大学院と合わせた学生数は約2万1000人。卒業生には、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智さん(89)らがいる。葛飾キャンパスは工場跡の再開発地に葛飾区が誘致し、13年に開設された。ほかに神楽坂(東京)など3キャンパスがある。 ■図書館 葛飾キャンパスの図書館棟は5階建て、延べ床面積約9800平方メートル。図書館部分は1、2階を占め、3階以上にホールなどがある。葛飾区の科学教育センターも併設。18歳以上の区民は手続きすれば図書館での閲覧が可能で、貸し出しも受けられる。各キャンパスにある図書館の総蔵書数は約87万冊(電子書籍含む)。 ■図書館の写真特集は [...]

書架の階段 机も兼ねる 周りに仲間「気が引き締まる」<東京理科大>2025-05-22T12:22:51+09:00

不登校の中学生対象の宮崎の学び舎、「昼間部」も開校…夜間部と教室など共有・教職員は別

2025-04-25T18:01:11+09:00

 不登校の中学生が対象の「学びの多様化学校(不登校特例校)」として宮崎市が設置した市立ひなた中・昼間部が23日、開校した。新入生15人と、転入生となる2、3年生31人の計46人が在籍し、同日から授業も始まった。式典であいさつする渡会校長 学びの多様化学校は学習指導要領にとらわれず教育内容や授業時間を柔軟に決められる文部科学省の指定学校で、宮崎県内では昨年4月に開設された延岡市に続き2校目となる。宮崎市立ひなた中は夜間部が昨年度から運営されており、教室や備品は昼間部と共有することになるが、指導にあたる教職員は原則異なるという。  この日は教室として使う市教育情報研修センターで式典があり、 渡会(わたらい) 洋一校長は「皆さんが新しい環境で学ぶことに挑戦するため、この舞台に上がったその姿は既に感動を生み出している。どうぞ自分を誇ってほしい」とあいさつ。生徒全員の氏名を読み上げ、新たな門出を祝った。

不登校の中学生対象の宮崎の学び舎、「昼間部」も開校…夜間部と教室など共有・教職員は別2025-04-25T18:01:11+09:00
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